私たち、直方バプテストキリスト教会は福岡県の真ん中にある筑豊地方の直方市にある教会です。創立は75年前の1950年。当時はまだ筑豊地方は炭鉱産業の中心地として栄えていましたが、相次ぐ炭鉱閉山により今は小さな町となりました。そんな直方市の中で私たちの教会は歩みを続けています。
また、玄関に「教会の幻」という文章を掲げています。これはこのような教会でありたいという願いであると同時に、私たちが立ち帰るべき場所でもあります。

教会の幻
私たちは喜びの輪を拡げる教会を作ります。
主イエスに救われた私たちはこの福音の喜びを多くの人に伝えます。
私たちは地域に開かれた教会を作ります。
誰でも気軽に来られる教会、地域の人々に親しんでいただける教会、地域の課題を担う群れとなります。
私たちは祈る教会を作ります。
神の先立を信じて祈りを以て教会を支え教会員同志祈りあいます。神の平和「シャローム」を地上に実現できるように祈ります。
私たちは主イエス・キリストに倣い愛の神様に仕える教会を作ります。
疲れた人、重荷を負った人、悲しむ人に寄り添い、心安らげる交わりを作ります。
私たちは主イエス・キリストに従う教会を作ります。
一人一人が自立した信徒として、聖書を学び合い教会の働きを共に担います。
この教会の幻を土台として、礼拝を始めとする集会を行い、また取組を行っています。特に、地域に愛され必要とされ地域の課題を一緒に負ってゆくこと(具体的には当ホームページの集会・活動案内をご覧下さい)と、誰でも来て頂ける教会であることを大切にしています。
障がいのある方、外国から来られた方、セクシャルマイノリティの方が、気軽に来られる教会にしたいと思っています。例えば、礼拝ではメッセージの際に手話通訳をつけていますし、教会の掲示板にはレインボーフラッグを掲げています。まだまだ十分ではありませんが、壁のない、敷居の低い、ボーダーレスな教会を目指しています。
また、インターネットでも礼拝配信をしており、遠隔地の方や直接訪れることの出来ない方も一緒に礼拝が出来るようにしています。加えてインターネットでの献金も出来ます。献金は自由であり、礼拝には無料で参加して頂けますが、中には、礼拝への参加意識を高めたり、「自分に出来る事がある」と、喜んで下さっている方もあります。
「礼拝に集えて良かった」「ここに教会があって良かった」これからもそんな教会でありたいと思っています。直方バプテストキリスト教会があなたにとってもそんな教会になることができたら嬉しいです。
牧師紹介

田中 伊策
ISAKU TANAKA
1966年生まれ。新潟県出身。大学で児童教育と社会福祉を学ぶ。卒業後はホスピスの病院で看護助手・医療事務の働きに従事。この働きを通して多くの末期の方々との出会いと別れを経験する。そして神様は一つ一つの命を愛し、そしてその命と共にあり、そのすべてを受け止められる方であると実感し、多くの人に「あなたは独りじゃないよ」ということを伝える働きを示されて神学校に入学。卒業後、静岡市、名古屋市、長崎県大村市、福岡市、そして現在の直方のバプテストの教会で牧師として従事。前任地の教会では10年間、幼稚園の園長も兼任していた。
少しだけ「キリスト教」と「聖書」についてもご案内いたします。
キリスト教とは
キリスト教の起源は西暦30年くらいです。
イスラエルのガリラヤという貧しい人たちの暮らす地方にイエスという人がいました。イエスは「神はすべての人を愛している。いや、むしろ愛することしか出来ないようなそんな方だ。
安心して神の愛に包まれ、神と共に歩み出そう」と語り、その言葉を自らの行いや歩みで示しました。その時代、イスラエルには既にユダヤ教という民族宗教があり、そこでは「神は偉大で畏れるべき方、近寄りがたい方、罪を罰する方」というイメージがあり、とにかく決め事(律法)を守ることが重んじられていました。

しかし、ガリラヤの人々が生きるためには律法は大きなハードルであり、守れないのが当たり前。そんな中で聞いたイエスの言葉に人々は「神は既に共におられる」「私も愛されている」と喜び、またその愛を体現するイエスを喜びました。このイエスの存在は徐々にイスラエル全土に広まってゆきます。
しかし、特権階級や支配階級の指導者たちはそれを喜びませんでした。神の前では人は並列であり、神にとって命の価値は等しい、ということが許せなかったのです。
そのため、イエスはこの指導者たちの思惑によって十字架につけられ殺されました。しかし、神はこのイエスを三日目に甦らせた、と聖書には書かれています。
それは神がこのイエスが示した神の愛を良しとされた、ということであり、同時にイエスといつも共にいた者たちが絶望の中で神の愛を理解し立ち上がった、ということでもあります。
このイエスと共にいた者たちが、イエスを通して示された神の愛を信じ、イエスはキリスト(救い主)と信じて、イスラエルという枠を越えて伝え始めたのがキリスト教です。
聖書とは?

キリスト教では聖書という書物を用います。聖書の中には前半に「旧約聖書」という部分があり、後半に「新約聖書」があります。前半の旧約聖書は、イエスより前の時代にイスラエルで用いられたユダヤ教の宗教書です。
イスラエルという土壌で、ユダヤ人としてイエスも弟子たちも歩みましたから、この旧約聖書を土台としています。ですから、旧約聖書はユダヤ教のみならずキリスト教でも大切にしています。
つまり旧約聖書はユダヤ教とキリスト教の共通の正典なのです。後半の新約聖書にはイエスを通して現わされた神の愛について書かれています。新約聖書の中にある福音書にはイエスの歩み・言葉・姿が記されています。
キリスト教において旧約聖書と新約聖書は同列ではなく、イエスを通して示された神の愛が書かれている新約聖書を重視します。そして旧約聖書はイエスの伝えた神の愛を通して読んで初めて意味を持ちます。
ですから、個人で聖書を読まれる方にはまず新約聖書から読むことをお勧めします。
